2008年09月15日

建築の基本に迫るエッセイ。28話のうち14話に感激!!



藤森照信著「建築史的モンダイ」(ちくま新書 740+税)

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著者の藤森照信氏は「神長官守史料館」で建築家としてデビューし、タンポポハウス、ニラハウス、高過庵など自然素材を使った話題作で広く知られるようになった。
しかし、東大生研の教授として建築史に詳しく、著作も多い。
私も何冊か読んだが、この著は基本的な入門書として気軽に読めて楽しい。

28話のエッセイで構成されているが、どれも切り口が新鮮で、「おや」という発見が随所にある。
教会とか茶室建築などあまり興味のない項目もあるが、半分の14話は建築に携わる者にとっては必読と言える内容を持っている。
その中で、とくに面白かった項目から、許される紙数の範囲内で順次紹介したい。

◆和と洋、建築スタイルの根本的な違い
明治になって、ヨーロッパから西洋館が入ってきた時、われわれのご先祖は世界に見られない奇妙な受け入れ方をした。
官庁や学校、病院などの施設は、見よう見まねながら洋風に造った。
問題は住宅。
維新の元勲とか、銀行などの事業を興した実業家、あるいは公・侯・伯・子・男の有爵者などの有力者は、積極的に洋館を建てた。決して和洋折衷建築ではなかった。
ただし、日常生活用には和風の御殿を建て、その脇に接客用として洋館を並んで建てたのである。この併置は日本にだけ起こった現象。
ヨーロッパには、ギリシャ、ローマ、ロマネスク、ゴジック、ルネッサンス、バロック、ロココという建築のスタイルが明確に存在し時代とともに変遷してきている。
ところが、日本では神社仏閣、城、書院造、数寄屋造などのスタイルがあるが、ヨーロッパのように時代に従属していない。日本ではスタイルは用途に従ってきた。
したがって私生活の和と、接客という公の用途に使い分けたのである。

◆スパンの国際比較
スパンのことを日本語では柱間という。壁構造の外国だと壁間ということになろう。
梁形状であれば、木は鉄筋コンクリートにかなわない。しかし、トラス形状だと自重が軽い分だけ木が有利。
しかし、鉄筋コンクリートも卵の殻のようなシェル構造にすると、100メートルのスパンも可能。そして、てっぺんのシェルの厚みは10cmもあればいい。
ちなみに鉄筋コンクリートのスパンと梁セイの関係は1/10でよい。スパンが2間の3.6m
だと36cmでいい。その下を通る人の高さを1.75mとすると天井高はギリギリ2.11mで良いとなる。こうしてマンションやビルは建設費を稼いでいる。
日本の木造建築では神社仏閣なども柱を林立させ、大きなスパンを求めてこなかった。唯一例外は歌舞伎座。ここには牛丸太という大きな梁が用いられていた。
そして、明治維新で造船、紡績、鉄工という工場が必要になった時、日本の伝統的な木造の技術は役に立たなかった。洋風のトラスにとって変わられたのである。

◆日本のモクゾウ
木造には大火がつきもの。1666年のロンドン大火で、ヨーロッパは伝統の木造をやめてレンガ造や石造に切り替えた。
ところが、大火に見舞われながらも日本は木造を店じまいすることがなかった。これは石やレンガでは耐震上問題があったからであるが、建築家内田祥三のおかげでもある。
1920年に日本初の建築基準法である「市街地建築物法」の起草を内務省から委託された佐野利器。地震の専門家であったが防火のことはよく分からない。そこで内田に任せた。
内田は江戸っ子で火事となれば思わず飛び出してゆくタチ。その火事場で見たのは、火は軒先から軒先へと移ってゆく。その軒先に、たとえ薄い鉄板一枚でも覆っていると、木が燃えにくい。類焼するにしても時間が稼げる。
ということで、エィヤーッと軒天や外壁を不燃材で覆う準防火構造を創設した。
阪神淡路地震の火災で人が死んだのは倒壊した家の下敷きになっていたため。それ以外は、類焼を見ながらもゆっくり避難がなされていた。

◆スギの重用が招いている?日本建築の不幸
日本の製材工場丸太置き場を見ると、針葉樹ばかりで広葉樹がほとんどない。大半が米松と国産のスギ。ヒノキは少数派。
熊本県の依頼で寮を設計した時、担当者は長々と地産のスギ丸太の自慢話を続けた。
目の前の丸太の切り口を見ていたら「これは木でない。野菜だ」と叫んで、セロリのようにスギを齧ってやろうかと考えた。北斜面の高いところで採れたスギはともかく、目の前の年輪を見ると夏目が成長しすぎてスカスカ。
コルビュジェが上野の美術館設計のために来日した時、前川国男らの弟子たちが桂離宮を案内した。コルビュジェは感動するどころか「これだったら日光の方がはるかによい。線が多すぎる!」と言ったという。
強度もさることながら、同じ印象を私はスギに対して持っている。スギの木目は、定規で引いたように均一で工業製品と同じに見える。広葉樹にある自然の緩みがない。楽しさがない。
ただ、熊本の寮では厚さ4cm、幅30cm、長さ3mの板が目にとまった。これを床材として使った。なんとそれは足場用材だった。
県の担当者は「足場用を使ったとは言わないで欲しい」と念を押していた。

◆科学技術は裏に、自然は表に
建築業界ではこのところにわかに自然素材への関心が高まってきている。
土や漆喰の壁が化学物質を吸ってくれるとか、ムクの床は温かいとか…。反面、鉄やコンクリートはつめたいとか、合板やクロスからはアセドアルヒドが出るとか…。
しかし、炭を床下へ置くと湿気や微量物質の吸着がよいとか、マイナスイオン、磁気が云々と言われても、定性的に認めても定量的に認めることが出来ない。
化学物質過敏症の人に良い建材とはガラスと鉄だけ。コンクリートは一年以上経って軟化反応が終わると使える。化学物質を抑えるということであれば、自然素材を選ぶべきではない。
また、サスティナブル(持続可能)な材料、再生可能な材料というと木でも土でもない。現在使われているものの中ではアルミと鉄しかない。
屋上緑化の断熱効果ということも叫ばれている。単に屋根面の断熱だったら、厚い断熱材を敷いた方がはるかに安くて効果が高い。
環境問題への貢献という面では、今のところ間違いなく効果があるのは屋根、壁、床の断熱性能を良くし、サッシの性能を上げ、換気効率をたかめること。木造がCO2を長く固定しているという以外に、自然素材はそれほど重要な役割を果たしてくれない。
私が自然素材を使うのは、好きだから。
駆体など構造的な面ではなく、表面に自然素材を使うというのが藤森流。

◆屋根の國、ニッポン
鉄、銅、鉛、亜鉛、チタン、ステンレスとメタルを並べると何を連想する?
さらに、大谷石、鉄平石、天然スレート、瓦、茅、板、柿、桧皮(ひわだ)と並べると共通するものは?
そう。日本における現役の屋根葺き材。
この中で、あれと思われるのが大谷石と鉄平石と桧皮だろう。
大谷町ではいまでも屋根に大谷石が使われており、諏訪では凍っても割れないので瓦の代わりに鉄平石が使われてきた。桧皮は、京都や奈良の神社でよく使われており、一番多く使われているのが信濃の善光寺。
さて、上の屋根葺き材を値段の高い物から順に、坪単価で並べるとどうなるか。
・桧皮      50万円
・柿       30万円
・茅       20万円
・鉄平石    12万円
・大谷石      不明
・チタン     10万円
・天然スレート  9万円
・鉛         6万円
・亜鉛       5.5万円
・銅         5万円
・ステンレス    3.5万円
・瓦         2.5万円
・人造スレート  1.8万円
・鉄板       1.2万円
桧皮はおそらく世界一高いはず。
善光寺の屋根の総面積は1090坪というから、屋根の葺き替えだけで5億4500万円もかかる勘定になる。
この数字を見ると、一方的に自然素材を褒めることは出来ない。
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2008年09月05日

建築関係で久々の読み応え「磯崎新vs丹下健三物語」


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平松剛著「磯崎新の都庁…戦後日本最大のコンペ」(文春 2190円+税)は、下手な小説を読むよりもはるかに面白い。
読み始めたら止まらない。気が付いたら夜を徹していた。

自分の不勉強をタナにあげて言うのはおこがましいが、この2、3年間、建築関係で面白いと思った本は外尾悦郎著「ガウディの伝言」(光文社新書)と瀧口範子著「にほんの建築家伊藤豊雄観察記」(TOTO出版)しかなかった。
磯崎新の著作や丹下健三の著作は、それぞれ2、3冊ずつは読んでいる。
しかし、正直言って建築家の書いた本はそんなに面白いものではない。
建築論とか都市工学論というのは抽象的で、やたら屁理屈が多くて理解が困難。
やはり、誰かが客観的にその考えの新しさや業績の価値を系統的に語ってくれないと、納得して理解することが出来ない。

本を読み出す前に、著者の略歴を見た。
早大大学院建築学科修士課程を修了し、構造設計事務所に勤務していた、とある。
構造屋さんなら建築的な記述は正確だろう。しかし、内容は専門的にすぎて、難解でつまらないだろうと予想した。
建築科卒で、簡潔で面白い文章を書く人間を見たことがない。
頭が固くてユーモアのセンスに欠けている人が圧倒的に多い。
そんな先入観を持っていた。

ところが、読み出して見ると嬉しいことに、先入観をことごとく覆えしてくれる。
文章が簡潔で、しかも理路整然としていて分かりよい。
建築史に対する正しい情報が、理解しやすい形で随所に登場する。
そして、何よりも人物の描写力や全体の構想力が良い。
内容はどこまでも「磯崎新」という人物の物語。
それを、東大の建築学部の創設から戦後のかなりの時期までに果たしてきた大きな役割とえこひいき。丹下健三との師弟関係と両氏のポリシーや姿勢や手法の対比。あるいはアトリエの多くの所員の日常業務や、両事務所の所長に対する信頼や共感、印象を通じて、見事にその人となりと業績をくっきりと浮かび上がらせている。
建築関係で、こんな面白くて分かり易く、しかもエキサイテングな物語が誕生してくるとは考えてもいなかった。
これは、決してオベンチャラではない…。

中年以上の方なら誰もが知っている。
今から23年前の1985年当時、都庁舎は現在の東京国際フォーラムにあった旧第一庁舎、第二庁舎をはじめとして13のものビルに分散し、ひしめき合っていた。
都は新宿西口の超高層ビル街に1号地、4号地、5号地と3区画の都有地を持っていた。
つまり、京王プラザホテル、三井ビル、住友ビルの3つの超高層ビルをまとめて建てられるだけの広大な敷地を…。
当時の鈴木俊一都知事は、何が何でも都庁を有楽町から新宿へ移転させようと計画していた。しかし、それには中央区、千代田区、台東区など東京東部の都議会議員、区議会議員などの猛反対を懐柔する必要があった。
彼等をなだめるために鈴木知事がとった手段は、丸の内に東京国際フォーラムを、両国に江戸東京博物館を、足立区東綾瀬に武道館を、江戸川区葛西に臨海水族館をという具合に、都税をバラ撒くことだった。
そして、新宿の都庁を含めたこれらの建築物が「バブル時代の粗大ゴミ」と称されるようになってしまっているのだが…。

この新しい都庁舎の設計を「設計コンペ」で行うことになり、都は以下の10氏によるコンペ審査会を設置した。
◇安達健二元文化庁長官 ◇伊藤ていじ工学院大前学長 ◇沖種郎設計連合会長 ◇竹山実武蔵美大教授 ◇穂積信夫早大教授 ◇雨宮良平設計事務所長 ◇長谷川大都営繕本部長 ◇芦原義信建築学会会長 ◇菊竹清訓設計事務所長 ◇近江栄建築学会副会長

そして、コンペに参加する設計事務所の資格として「100メートルを超える建築物を設計・建築した実績があるところ」として当初13社をリストアップした。その中から以下の8社が絞られた。
◇丹下健三事務所 ◇日建設計 ◇日本設計 ◇前川国男事務所 ◇板倉事務所 ◇山下設計 ◇松田平田事務所 ◇安井事務所。
当然の顔ぶれだが、これだけでは面白くない。
「超高層建築の実績はなくても、国際的な評価を得て活躍している建築家にもチャンスを与えるべきではないか」という意見が出され、磯崎新、黒川紀章、槇文彦の3人の名前があがり、いろいろ議論された結果超高層建築の実績のない代表として磯崎新アトリエが選ばれた。
もっとも、資格条件として超高層建築の実績を謳った審査会だが、メンバーの中で実績のあるのは芦原義信ただ一人だけ。

ともあれ、総工費1365億円、延べ床面積は駐車場を含めて34万u、庁舎に収容される役人の数は1万3000人という、想像を絶するスケールを持った日本における最大の設計コンペが、この9社によって行われることになった。
期間はコンペ参加メンバーの発表があった1985年11月8日から翌年の2月25日までのたった3ヶ月半。参加料として一社当たり2000万円、計1.8億円の予算が計上された。
本命視されていたのは鈴木知事と特別に深い関係を持っている丹下健三事務所。

特命にすれば議会とマスコミ対策が大変なので、コンペという形をとっただけだという噂が流れていた。たしかに、丹下健三はメンバー発表の1ヶ月前からコンペの内容を知り、準備を進めていた。
そして「ぶっちぎりで勝とう!!」が丹下事務所の合い言葉として叫ばれ続けた。
東京カテドラル聖マリア大聖堂、代々木国立屋内総合競技場をはじめ輝かしい実績を誇ってきた丹下事務所。しかし、産油国などからの仕事の依頼はあるものの国内での仕事は黄昏気味。何としてでもぶっちぎりで入選しなければならない事情があった。

これに対して、設計コンペがあることも知らず、呼び出された当日まで何一つ準備していなかった磯崎アトリエ。
しかも、発表のあった10日後から半月間にわたってカイロ、パリ、リョン、バルセロナ、ニューヨーク、ロサンゼルスと4ヶ国6都市を回る出張が予定されていた。海外で磯崎新の仕事は増えており、腰痛を堪えて飛び回らざるをえなかった。
ということは、実質3ヶ月足らずの間で延べ34万uの設計をまとめあげる必要がある。
磯崎アトリエはアルバイトを含めてもスタッフは20人。他の事務所は少なくても60人から100人のスタッフが揃っている。最大は1000人にも及ぶ。

出張前に磯崎は、とりあえずスケッチを行って3つの案でそれぞれアプローチを行う方針を固め、4人のコアスタッフの役割分担を決め、成田を飛び立っていった。
(1案) 本庁舎を超高層ビル1棟にまとめる          担当青木淳
(2案) 本庁舎を超高層ビル2棟にわけ、ツインタワーとする  担当菊池誠
(3案) 本庁舎を超高層ビルではなく、低層ビルとする     担当渡辺真理
プロジェクト全体のまとめ役                 担当青木宏

この中で、1棟にまとめる案は、高さが必要以上に高くなるだけでなく、エレベータが勝負の世界になることが分かり、都の意向も1棟案に懐疑的だと分かって各社とも採用を見合わせた。残されたのは超高層のツインタワーしかなかった。
なぜなら、最初から「100メートル以上の実績」が審査会によって問われていた。
そして「国際都市東京のシンボルになる建築であること」が第一義に謳われていた。
したがって、各社ともツインタワー案を選択せざるを得なかった。

そうした中で、出張途中のロサンゼルスで磯崎が選んだのは低層ビル案。
ここから磯崎アトリエの本領が発揮されてくる。
低層建築と言っても、都から指定された面積を積み上げていったら地上23階建て、高さが97メートルにもなってしまったが…。

そして、ご存じのとおりぶっちぎりではなかったが、後期ゴジック調の丹下健三事務所案が入選。

1995年、オランダの建築家レム・コールドハースが一緒に車で横浜に向かう途中、お台場に工事中のフジテレビの新社屋を指して叫んだ。
「おい、磯崎。あそこに君の都庁が建っているではないか。コンペに負けたのではなかったのか?」と。
それは、磯崎の都庁案によく似た丹下健三の仕事だった。
「コンペはたった1つの、極端に突出したアイディアを捜している」
この磯崎新の言葉を、コンペを通じて心の底から理解したのは、師であり敵でもあった丹下健三だったかもしれない…。
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2008年03月10日

建材展示会の実態と「儲かる見本市」を開発した男の哲学


3月初旬の日経新聞主催の「建築・建材展」へ行って、がっかりした。
展示そのものは前からそれほどで期待出来るものではなかった。しかし聞きたいセミナーが1つか2つあって、必ず参加してきた。
ところが、そのセミナーも2、3年前からつまらなくなり、200年住宅をテーマにした今年のセミナーには、例えタダであっても参加したいとは思わなかった。
年々ジリ貧の建築・建材展といってよい。

住宅業界で、設計や開発を担当している者にとっては、建築資材や空調換気をはじめとしてあらゆる設備機器の展示会への参加は必須条件。
新聞や雑誌、あるいはインターネットを通じて新商品情報は入る。
しかし、それらの情報は、本当に必要なことを伝えてくれていない。
建材や部品の場合は、それを採用したくなるほどのインパクトや質感、ボリューム感、あるいはデザイン性を持っているかどうか。
そして、その施工上の問題点は。

設備機器類はその性能が価格に見合うものかどうか。
細部の納まりや仕様は満足出来るものであるか。
インテリアコーデネィトする場合の注意点は奈辺か。
施工上、システムの変更をもたらすほどのものかどうか。
また、いますぐ採用しないにしても、引き続き注意を払って研究を続けなければならないものかどうか。

こういったことを見極めるためには、展示会場に足を運び、目と手で確かめなければならない。
そして、何人かで一緒に見て回ると、最低数ヶ所で新しい発見がある。
一人で歩いていては、自分の興味や関心のある物だけに目がゆき、どうしても視野が狭くなる。
ところが、2、3人で歩くと、一人だったら見落しているものを仲間が発見してくれる。
そして、その新しさや画期的な点が理解出来る。
したがって、展示場巡りは、昔は必ず複数で出かけた。

展示会は、昔は「グットリビングショー」へ参加するだけでこと足りた。
晴海の広い会場。その中の数個以上のドームを巡らなければならないから、丸一日の仕事だった。見終わると足が棒のようになった。
そして、手には貴重なカタログが、抱えきれないほどになっていた。
情報収集の場として、これほどの価値のあるものはなかった。
ところが、このグットリビングショーが十数年前より下火になり、家電や木工機械までも含めてまとめて情報を収集出来る場がなくなってきた。

これは、各建材メーカーが自社の大きな常設展示場を持つようになり、そこへ消費者と設計事務所、工務店を誘導するようになったからである。
メーカーにしてみれば、単に情報提供の場でしかない展示会へ高価なカネをかけて出展するよりも、工務店や設計事務所が消費者を常設展示場へ連れてきてくれれば、即商売に結びつく。一石二鳥というわけ。
たしかに常設展示場が存在することは有難い。
しかし、商品開発をする人間にとって、各社をまとめて比較し、見て比べるというチャンスがなくなった。各社の展示場を巡らねばならず、その効率の悪さが痛感されてきた。

そうした時に、大手建材問屋のナイスとかジャパン建材が、単独で展示即売会を開催するようになった。大手問屋が取引先の建材店や工務店、その先の消費者を集める。
不特定多数の参観者を対象にした展示会ではなく、実需に結びつく展示会。
したがって「メーカーさんは展示するだけのメリットがありますよ」というわけ。
たしかに、このメリットが実感され、大手建材メーカーはこぞってこうした展示会に出展するようになった。
そして、建築・建材展とジャパンホームショーに大手メーカーは出展しなくなった。
主な対象が建材販売店だとたしかに実需に結びつく。しかし、設計事務所を主対象にした場合は、すぐに実需に結びつかない。検討し、プラン上や仕様書上で採用するのは何ヶ月も先のことになる。
そんなわけで、メーカーはその効果が実感出来ない。だから建築・建材展とジャパンホームショーはオフリミットとした。このため急速に魅力が失われた。

この巻き添えを食って、設計関係の人間は、毎年最低2ヵ所の展示会に参加することが必要になってきている。
1つは、大手建材問屋の展示会に参加し、大手建材メーカーや設備機器メーカーの動向を調べる。
もう1つは、秋のジャパンホームショーか早春の建築・建材展に参加して、日本の大手メーカー以外の海外や中堅メーカーの新商品を徹底的に調べる。

しかし、いずれにしても日本の建材・設備展は規模が小さく、国内のマーケットだけを対象にしたもので、グローバルな広がりがない。
実は、これこそが問題なのだと思う。
日本の建材・設備展がドイツのハノーバー、フランクフルト、デュッセルドルフ、ベルリンなどのように大規模で充実したものであれば、単に国内だけでなくヨーロッパ各国はもとより世界各国から視察者が集まってくる。国内という縮み行くマーケットだけを対象に考えるのではなく、本来は日本での建材・設備展示会に出展することによりマーケットが世界に広がるというものでなければならない。
そのような発想を持った人間は、日本の建築・建材業界には不在。
例えば、K値が0.8W〜1.0Wのサッシ。
これを日本の寒冷地の需要だけを前提に考えたら、なかなか開発出来ない。韓国から中国北東部、ロシアから北欧までも含めて考えると、チャンスは山ほどある。
現にスウェーデンのマーケットは北海道の半分以下にすぎない。しかし、高性能サッシを開発し、日本へドンドン売り込んで来ている。日本の建材メーカーに、このようなグローバルな視点とバイタリティがない。


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石積忠夫著「正直者はバカをみない・日本の見本市ビジネスをつくった男の成功哲学」(ダイヤモンド社 1600+税)

この本を読む前までは、見本市というのは業界団体とか新聞社、あるいは問屋などが主催するものだと考えていた。
ところが、民間の名もない一企業が20年前にはじめて国際宝飾展を開催し、以来辛酸を舐めながら現在では年間36本もの各種の見本市を開催している。
どの見本市も、日本だけでなく東南アジア各国からのバイヤーも加わって大盛況。
しかも、集客力が抜群にすぐれており、その集客数も登録した実数で発表するという信じられない離れ業をやってのけている。

この本を読んで、初めて日本の建築・建材関係の見本市の了見の狭さが実感出来た。
著者は東京のビックサイトは満杯だから、今のビックサイト8万uに16万uを増設して24万uにし、さらに幕張メッセを16万uに、パシフィコ横浜を12万uに拡張して首都圏で52万uの見本市の会場を確保すべきだと提言している。設備は今のように豪華なものではなく、倉庫に毛の生えた程度で良い。ともかくスペースを確保して発信を続けなければ、日本の産業界がダメになると強調している。

非常に唐突な感じを受けられるだろう。
しかし、この本を読むと見本市という情報発信の意義の大きさに気づかせられる。
国内市場しか見えていない住宅関係者の皆さんに、是非とも一読をお奨めしたい。
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2008年01月15日

危機管理を見事にやり遂げた普通の村長の驚異的大変身


2004年10月23日17時56分。
震度6強のドーンと突き上げる揺れが山古志村を襲った。
その3分後に震度5の最初の余震が起こっている。
さらに4分後の18時03分に震度5強の2度目の余震。
それからさらに4分後の18時07には震度5強。
またまた4分後の18時11分には震度6強の大きいのが。
その23分後の18時34分にまたまた大きな震度6強・・・・・・

震度が最も大きく、家屋の被害が一番多かったのが山古志村より南東に5キロほど離れた川口町。町役場の地震計は震度が7で、2500ガルを記録。
しかし、町役場周辺家屋の倒壊率は30%程度。
豪雪地で、太い柱を使っているので震度7の烈震でも倒壊率は30%程度。
ところがその川口町で、太い柱の丈夫な住宅の90%以上が倒壊した地域がある。
断層の直上にあった田麦山では100戸のうち何とか助かっているのが10戸。
武道窪にいたっては20数戸のうち住めるのはたったの1戸。
その状況から判断して、この地域では空前絶後の3000ガル以上を記録した可能性が高いと考えられる。ところが、地震の専門家はこの地域を精密に調査していない。倒れた住宅の写真ばかり撮り歩いていた。倒れていない強靱な住宅の被害状況からガルを推定する絶好のチャンスを諸先生方は逃がしてしまった。

田麦山も武道窪も緩やかな傾斜地で、土砂崩れの被害はなく、被害はもっぱら住宅に集中。
これに対して山古志村には14の集落があり、そのすべてが谷間の斜面にあった。
平坦な土地がなく、急峻な斜面を切り開き、階段を一段ずつ刻むように稲田や棚池をつくり、道を普請して家を建ててきた。そのほとんどが、何らかの崩壊被害を受けた。
この特殊性を理解しない限り、山古志村の問題が分からない。
正直言って、私の関心はもっぱら川口町に集中し、山古志村は土建屋の仕事だと最初から敬遠していた。
しかし、この本を読んで、その危機管理のすごさに打たれた。


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石川拓治著「国会議員村長  私、山古志から来た長島です」(小学館 1400円+税)

その日は土曜日で村役場は休み。
村長の長島忠美は用事で長岡の町に出かけ、家へ帰ってきた直後。
妙な地鳴りが聞こえたと思う間もなく、ドカーンという衝撃で身体が1メートルも宙に浮いたように感じた。
テレビをはじめあらゆる物が空中に吹き上げられ、身を守るとか避難を考える余裕すらなかった。地滑りが起き、家が流されているのだと勘違いした。どこまで流されるのだろう。そして、間もなく家は潰れ、自分は死ぬのだと停電で真っ暗闇の中で考えていた。
数分の揺れが納まって我に返り、妻と娘に声をかけて表に脱出した。近所の人が表に出て口々に「地震だ」騒いでいた。
一切の灯が消え、月明かりでは村の姿が見えない。しかし、村が異常事態に見舞われたことは間違いない。村長としての責任が重くのしかかってきた。
「みんなと小学校へ逃げろ。俺は役場へゆく」と家族に命じて軽トラに飛び乗った。
この時以来、5ヶ月以上にわたって家族と離ればなれの生活を強いられるようになるとは、その時は知る術もなかった。
しかし軽トラにとびのったのは良いが、600メートルも走ったら道路が根こそぎ消えていた。役場へゆく道はほかに3つある。しかし、そのいずれもが塞がれていた。車がダメなら歩くしかない。
家へもどり懐中電灯を頼りに歩き始めたら職員の一人がついてきてくれた。村の地形が頭に入っているから、道がなくても役場へたどり着けると考えたのは甘かった。
特産の養鯉池がことごとく抜け落ちてドブとなってあふれ、足がとられて前へ進めない。余震が続いていて崩れ落ちる土砂の音が聞こえてくる。夜が明けないことにはなんともならない。

役場へ行けないなら電話をと思ったが固定電話は不通。携帯も電波塔が倒壊して圏外に。
カーラジオで被害のニュースを聞いたら小千谷、十日町、長岡のことは言っているが山古志の話が全然出てこない。山古志村は完全に外部から遮断され、孤立していると判りゾッとした。しかし、携帯が繋がらないので連絡のしようがない。焦っていたら山の上で1ヶ所だけ携帯が繋がるところがあると村民が教えてくれた。
最初の地震があってから5時間後の夜の11時にやっと県の災害対策本部に連絡がとれた。
そのあと、土曜の夜だから長岡に出かけて戻れなくなっている職員がいるはずだと祈る気持ちで通話ボタンを押し続けたら企画課長と電話がつながった。
「村へ戻れなくなっている職員が何人かいるはずだ。片っ端から電話して長岡駅の近くの県の振興課へ集まり、長岡に臨時対策室を作って欲しい」と指示した。翌朝まで12人が集結してくれ、このことが翌日からの避難活動をスムースにした。

東の空が白むまで、車のところまで走って充電し、急いで山の上に戻って電話をかけまわっていたら、明け方の4時半頃県知事からの電話が鳴った。
「何が必要ですか」と聞かれたので「自衛隊のヘリをお願いします」と言ったら電波が切れた。
今度はヘリポートを確保しなければならない。白くなった光を頼りに沢を伝ったり斜面を登ったりして、普段の2倍以上の時間をかけてやっと役場へ到着したら、役場の駐車場が山からの土砂で崩れ落ち、消防車やマイクロバスも流されている。とてもヘリポートに使えない。あとは中学校のグランドだけが頼り。
幸い、グランドの端は崩れて段差が出来ていたが、なんとかヘリポートとして使えそう。石灰を借りてきてグランドの真ん中に大きな円を描いた。
本来はその円の中にHを書くのだそうだが、バッテンを書いてしまったのはご愛嬌。
そして、中学校にいた3人の職員と「山古志村災害対策本部」を設置した。

最初のヘリコプターが自衛隊の無線機を積んできてくれたので、県庁とのやりとりが出来るようになった。そして、本来は自分がヘリに乗って村を一巡りすれば、完全に被害状況が把握出来ると思ったが、怪我人の救出を最優先とした。
自衛隊だけでなく警察、消防もヘリを派遣してくれ、若い人が各集落の情報を足で持ち寄ってくれたので10時頃には村の様子がほぼ分かってきた。
山古志村が完全に孤立しているだけでなく、集落と集落をつなぐ全ての道路が破壊されていて、集落そのものが孤立、分断されていた。
翌日に予定されていた錦鯉の品評会のためにバイヤーや記者、それに観光客もあって、当日の山古志村には約2200人がとり残されていた。
この人たちの命をどう守るか。食料や水、薬や防寒をどうするか。

自衛隊第12連隊長の今金さんのヘリコプターが着いたのは正午ごろ。
今金連隊長はグランドの周囲に同心円状に走る亀裂にまず気づいた。それに天気予報は翌日からまとまった雨が降ると予想していた。
「この状態では、陸からも空からもライフラインを維持するのは無理です。それよりもみなさんにどこか安全な場所に移って頂いて、そこでライフラインを維持するしかありません。そうでないと時間とともに犠牲者が出ます。言われればなんでもやります」
それは2200人をヘリコプターでピストン輸送することを意味している。
「そんなこと出来るわけがないだろう」と旅団長が難色を示したのは当然。
「他に方法が思いつきません。出来るかどうかについては、要請があれば全力を尽くすとしかお答えできませんが・・・」
シビリアンコントロールという原則から、最終判断は村長に委ねられた。
長島は3人の職員を集めると即座に「全村避難」の決断を伝えた。当然長岡の臨時対策室へも伝えられた。
午後1時。今金連隊長が到着してから1時間後に、前代未聞の避難活動が始まった。

村議会を開いている暇はない。村長の独断で「避難勧告」を住民に強要することは出来ない。あくまでも出来ることは「避難指示」。もし事故が発生すれば全責任は村長に。
ぶっつけ本番の全村避難を24時間で完了させなければならない。機動隊が小型ヘリを用意して各集落へ最小限水と食料と情報を伝えてくれた。
しかし、一つの集落だけ連絡がゆかず、住民がパニックになっているという報告が入った。
夜中にヘリを飛ばすのは危険この上ない。しかし村長の願いに今金連隊長が動いてくれた。
漆黒の闇の中に明るい場所が見えてきた。車のヘッドライトや消防団の投光器、それにテレビのクルーの撮影用のライトが加わっての灯りだった。このため、高圧線を避けて無事着陸することが出来た。

しかし、これはあくまでも序章で、村長の不眠不休の仕事はこれからが本番だった。

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2007年11月25日

日本の住宅政策に対する外国人ベンチャーの強烈パンチ! 


うさぎ小屋だとか、紙と木で出来ている、とか。
外国人の日本の住宅に対する印象は部分的には語られている。
しかし、日本の住宅政策に直裁で、まともに批判を加えたものが少ない。
そのなかにあって、1年前に出版されたこの書には肯かせられる点が多い。
ティム・クラーク&カール・ケイ共著「日本人が知らない《儲かる国》ニッポン」(日経新聞社 1500+税)


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著者は、グローバリゼーションの厳しさに鍛えられ、強力な国際競争力を持った日本の製造業の強さを、高く評価している。
その反面で、いたずらな役人の介入と政治家の保護政策で、国際的に見て生産性の低い産業が日本にゴロゴロしている。
医療、小売り・流通、不動産・建築・住宅、農業、金融・保険、ITサービス、輸送といったサービス産業がそれ。
これらのサービス産業は生産性が低い。したがって高い生産性を上げる智慧があれば、外国人起業家がエントリー出来るチャンスが山のように転がっている。
単なる生産性の低い業界批判ではなく、ビジネスチャンスと捉え、外国人による具体的な成功例を列挙してくれているのがなんとも新鮮。

一見すれば、日本は「お客さま天国」。
ガソリンスタンドでは満タンにして窓を拭き、灰皿のゴミを処分してくれる。デパートのエレベーターガールは、行きたい階へ案内してくれる。銀行の案内人、レストランのウェイトレス、道路工事現場の交通整理、ホテルの従業員、小売店の包装係・・・。極端なくらいに顧客に媚び、へつらってささいな雑用の世話をやくことが日本ではサービスだと考えられてきた。
しかし、病気の診断や治療、金融商品への投資、自宅の購入などの、人生に大きな影響を及ぼすサービスの場合は事情が一変する。満足な専門的なサービスが得られない。
日本には「サービスとは高度な専門知識を提供することだ」というイメージがない。

日本のサービス市場は非常に魅力的。
2005年度の日本のGDPは4.8兆ドルで、アメリカの12.4兆ドルについで世界で2位。
国民1人当たりのGDPは3.8万ドルで15位。そして2000年以降毎年2兆ドル相当のサービスが消費され、しかもGDPに占める割合は増加の一途をたどっている。
中国こそ世界経済の寵児だという考えが根強い。
しかし、中国のGDP1.8兆ドル。日本のサービス市場の2兆ドルよりも低いという事実を考える必要がある。
日本の2兆ドルのサービス市場こそ宝の山で、起業のチャンスだという。

著者は金融、ITソフト、医療・ヘルスケアと不動産・住宅の4つの産業を中心に、その生産性の低さと、外国人の新しいエントリーの成功例を挙げている。
面白くて大変に参考になる。しかし、金融とか不動産、ITサービス、医療は私の専門外。
いかに素晴らしいアプローチとポリシーであっても語る資格がない。
語れるのは住宅産業のみ。
ところが、生産性の低い住宅産業では、外人による日本での成功例がない。
ただし、日本ではなぜ新築需要だけが大きく取り上げられ、中古市場が伸び悩んでいるかについての著者の指摘は、大いに的を獲ている。
その点を中心に紹介したい。

日本には戦前から「強い国家、貧しい国民」という考え方があり、「道路、橋梁、河川が基本で住宅、上下水道は些事なり」という思想が貫いている。
戦後の高度成長期でも、官僚は住宅整備を「経済復興政策」のほんの一面としてしか捉えてこなかった。
日本の住宅事情が劣悪になったのは官僚だけのせいではない。政治家により大きな責任がある。
戦後の日本ではいくつもの大型プロジェクトが行われた。政治家は開発される周辺の土地を買い漁り、巨額な利益をあげた。日本のすさまじい地価高騰は政治家によってすすめられたと言っても過言ではない。

やがて政治家、不動産業者、銀行、一般市民は、土地を最高の資産と見なすようになった。
建物は単なる上物で、バブル期には邪魔者になった。こうして日本流の「スクラップ&ビルド」という考えが生まれ、土地が全てでビルや住宅はどうでもよくなった。
日本では、住宅は新車と同じ運命にさらされた。
つまり「新築住宅は購入した途端に価格が10%から15%値下がりして中古になる。家は車と同じで価格が上がることはなく、下がる資産」になった。
1998年に住宅金融公庫は築20年超の中古住宅への融資をやめた。
大手住宅メーカーの新築住宅の購入を促すのが目的。

アメリカでは中古住宅と新築住宅の販売比率は6対1。イギリスでは7対1。
これに対して日本ではなんと1対5という。
この最大の原因が中古住宅だとカネが政治家の懐に入らない。不動産会社や建築会社からたっぷり寄付がもらえるのは新築だけ。だから政治家と役人は中古住宅を嫌う。
1990年に入ると、国税庁は中古住宅の取引に、新築販売の16倍の税率を課した。わずか0.3%の販売に対して5%である。
政府は口では「中古住宅市場を活性化する」と言っているが、現実には新築住宅の販売を助け、中古住宅の市場の成長を阻害している。

中古住宅市場が活性化しないもう一つの要素は、第2抵当市場が限られていること。
巨額の住宅ローンの資産を銀行が買い取り、個人投資家に売れるように一括して証券化するアメリカの全米抵当金融公庫や連邦住宅金融抵当会社に匹敵する公的機関が日本には存在しない。
しかも、日本には住宅の標準的な査定基準がない。
アメリカではファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)の査定書式が業界の標準になっている。このため、どんな不動産も査定済みの同等の物件と簡単に比較出来る。
ところが、日本の銀行は「原価から減価償却費を引く」という単純な公式しか頼るものがない。しかもその減価償却費は35年で家屋の価値がゼロになる。
こういった査定により貸付金額が制約されるため、中古住宅のローンを組むのが困難になる。
こうした諸条件を克服しない限り、日本の中古市場は絶対に改善されない。
だが、だからこそここに大きなビジネスチャンスがあると著者は言う。

著者はここで、桐生市に本社がある墓石の石屋からスタートした中古住宅再生業の株式会社やすらぎを紹介している。
同社は20年前から住宅業界に参入し、中古住宅の再生事業で急成長し、名古屋証券取引所セントレックスに上場している。資本金は約38億円で従業員は850人。全国に支店網を拡げている。来年1月期の決算での売上げ見込みは670億円で、経常利益は半減するが19億円。こんな会社が存在しているとはうかつにも知らなかった。

同社の事業内容は良くわからない。
ただ、地場ビルダーは新築住宅だけではなく、これからは優れた中古住宅を耐震、断熱改修をしてゆくということも考えてゆく必要があるのだと思う。
著者は、これを「地元企業のグローバル化」と呼んでいる。
その内容がイマイチ理解出来ないが、外人さんが新しい問題を提起してくれている。
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2007年06月05日

住宅屋が知っておくべき「植栽」に関する基本知識

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近藤三雄著「建築家・園芸家のための都市緑化読本」(NTS刊 1600円+税)が、都市緑化入門書としては一番分かり易い。
筆者は東京農大造園科学科教授。
「造園命」を看板に大活躍。
そして都市緑化事業は、本来は造園家の専売特許だと考えている。
最近、建築家や園芸家がしきりに都市緑化に口を出してきているが、建築家に対して次のように諭している。

建築は完成した時が全て。あとはメンテナンスがあるだけ…。
緑化事業は建築とは根本的に異なるということを知って欲しい。
まず、植栽したときが完成ではなく、完成は最低で数年先。何十年先のことを考えて計画しなければならない。つまり、スパンが異なる。
そして、緑化に使うデザイン素材である植物は生き物であり、成長する素材。
その種類も多く、個々の性質がすべて異なる。
マニュアルに基づいて設計することが出来ないのが造園。

建築家の中で、何人がこの発言に反論を用意出来るだろうか…。

ランドプランニングをやった経験者なら、図面の上に何千、何万本の樹印を捺してきている。1万坪の開発地だったら数千本は捺しているはず。
戸建ての注文住宅の場合であっても、生け垣を含めると数十本近くの樹印を図面に捺す場合がある。
しかし、その樹種を特定して考えたことはないはず。
プレゼンテーションの時に樹木や生け垣がないと見栄えがしないので、適当に緑を配しているというのが実情だと思う。
そして、実際の植栽は他の外構工事とともにエクステリアコーデネィターに丸投げしているのがほとんど。

実際に立木を見て、その樹種を50以上答えられる設計士は少ないだろう。
日本に自生している植物の種類は4000種から6000種と言われている。
そのうち都市緑化に使えるのが40%程度だろうと筆者は推定している。
それにしても1500種から2000種に及ぶ。
このほかに「外来生物法」によって脚光を浴びた外来種は1600種ほどカウントされている。そのうちの20%から30%が都市緑化に使われている。
ということは300種から500種にもおよぶことになる。
つまり、本格的に都市緑化に取り組もうと考えるならば、最低で1000種から2000種の植物をマスターしなければならないということ。
「名もない草や木」などと俳人気取りで誤魔化すことは許されない。

私は早々にサジを投げた。
そして、印象に残った言葉のほんの一部だけを紹介することにした。

●高温多雨な日本に育つ植物の種類はアメリカやニュージランドに比べると2倍から3倍もの数。土壌も肥沃で「あとは野となれ山となれ」と放っておくと直ぐに草木で覆われる。ロスなどは散水施設で緑が保たれているが、日本は散水しなくても瞬く間に植物で覆われる。したがって日本における緑化のポイントは雑草との戦い。若干の除草剤は「良薬」と考えるべき。

●いままで緑化に用いる土壌は黒土と呼ばれる表土を客土とすることが一般的だった。この土壌は腐植分が多く緑化には最適であるが、反面雑草の種子も多く含まれていて雑草にとっても最適地。最悪の事例は芝張り工事が終わって目土がけに黒土が薄く播かれること。一面が雑草畑になる。今後は建設残土の赤土など深い土に堆肥などで土壌改良した土を積極的に使ってゆくべき。

●緑を管理する上で最も重要なのは「遷移」という概念。
裸地 → 一年生草木 → 多年生草木 → 陽樹林 → 陰樹林 という形で自然は遷移。
これを巧みに活用した好例が明治神宮の森づくり。人の手によってマツを主木に、その下に次代を担うスギやサワラを植え、その下に本命のシイ、クスを栽培して3段林をつくった。つまり人工的に陽樹林後期の状況を作り、40〜50年で常緑広葉樹の森に育てた。

●緑化材料の選定には日照条件をはじめとして多面的な情報と知識が求められる。
最近、コンピューターによる適正樹木検索システムが市販されている。これを使えば素人でも簡単に選木が出来そうだが、そうはゆかない。コンピューターに入力されている図鑑の情報が十分な精度を持っていない。執筆者の経験値の範囲で書かれているものが多く、一つの目安にはなるが、その土地の条件を勘案して選択しないと、植栽された樹木は数十年に亘って不快感を与え続けることになる。

●山林では密植して、生長に併せて間伐する。しかし、都市緑化では間伐が出来ない。したがって植栽の「間隔」が大変に問題。習志野市の松下電器のさくら広場。安藤忠雄氏の作品だが間隔が6.5m。十年たてば隣同士の木の枝が絡まり、全体では樹冠が天蓋状になる。安藤氏は樹木の生長をどの程度に計算しているのか。その「間」からは全体の植栽景観を読むことが出来ない。

●緑化の目的は安全と安心。しかし、現実の都市緑化ではそうなっていない場合がある。
緑化の仕方によっては稠密となり、うっとうしい空間になっているところも多い。密生した枝葉により死角が出来、公園や建築物の外構などが危険な緑化空間になったりしている。これは、そもそもの設計計画が間違っていたり、経年変化を計算していなかったり、十分な維持管理がなされていないことに由来する。

●東京などの大都市で、ヒートアイランド現象を緩和するために最近は屋上緑化、壁面緑化が叫ばれてきている。緑が冷却タービンの役目を果たしてくれるとの期待からだが、熱帯夜が続くと植物も熱中症の怖れがある。これを解決する一つがグランドカバープランツ(地面を被覆する植物)である。
欧米では古くから庭園や公園で使われているが、日本ではコケや藻などの地衣類と混同され地被植物の理解が遅れたが、1980年代から高速道路、公園、のり面、屋上や壁面、外構に使われだし急激に増えてきている。それと壁面緑化につる植物の採用も魅力的。

●建築家の中には、自分の作品紹介や評論の時に、きわめて安易に「自然」「エコロジー」「環境共生」という言葉を口にする人がいる。こうした建築家は自分のまずい作品を少しでもうまく見せたいという魂胆ではないかと勘ぐってしまう。
安易にエコロジーという言葉を使う者ほど、えせ自然の代表格であるビォトープを屋上や外構部に設計してボウフラの聖域を作っている。
屋上緑化、壁面緑化、太陽光発電を敷設しただけで環境共生住宅と名乗るのは、いささかおこがましいのではないかという気が正直する。

●小生が天下の悪法と思っている「特定外来生物被害防止法」が制定された。
要注意植物の中にこれまで都市緑化に活用されてきたオオキンケイギクや、のり面緑化や競技場・校庭の芝生化に欠かせないトールフェスク、ペレニアルライグスの芝生がリストアップされている。
「この外来生物悪玉論は、その根拠が非常に乏しい」と、筆者は懸命に訴えている。紙数の関係で紹介出来ないが、一読に値する議論がこの他にも一杯詰まっている。
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2007年05月15日

初めて接した「電磁波で具体的な対策」が書かれた本

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一昨日、マイスターハウスの山口社長とSさんと打ち合わせている時、電磁波のことが問題になった。
マイスターハウスから「オールアース」という技術の紹介を受けたSさんは、早速に電話して表記の著書を入手していた。
それを「是非とも…」と頼み込んで借りてきた。

土田直樹著「オールアース時代がやってくる」(ホノカ社 1200円+税、初版2005年10月30日)
何しろ1ページ36字詰めで13行というスカスカの装丁。それで173ページしかないという小冊子。1200円は高すぎる。書店で手にしても買う気が起きたかどうか…。
第一「オールアース」と言われても何のことか判らない。したがって2年前に店頭で見かけていたのかもしれないが、完全に見逃していた。

電磁波に関する本は十冊以上読んでいる。
しかし、どれもが電磁波の危険性を叫んでいるだけ。
その代表が自称環境問題評論家・船瀬俊介著「やっぱりあぶない、IH調理器」とか「ケータイで脳しゅよう」など。
週間金曜日とか船瀬氏は、ただひたすらに「問題だ」「買ってはいけない」などと声高に叫んでいるだけ。
問題点の指摘なら誰にも出来る。好きとかきらいだったら幼稚園児だって言える。
「格差拡大」とか「旧市街地のシャッター街化」などということは誰でも言える。
問題は、それを解消するための提案をどれだけ具体的に行っているか…。
提案力のない者を評論家と呼んではならない。

とくにひどかったのは「やっぱりあぶない、IH調理器」
これは、明らかにガスメーカーから「カネをもらって書いた」としか読めなかった。
事実はそうではないのかもしれない。
しかし、内容は一方的な断定に満ちていて、「いい家が欲しい」の著者と50歩100歩というところ。
客観的に環境問題を捉え、提案している信頼出来る評論家とは、お世辞にも言えない。

3年前、小学校の女先生が送電線の下の分譲住宅に住んでいて原因不明の病気になられた。半年以上に亘ってあちこちの病院をたらい回しにされたまま。やっと自分で北里病院を探し出して訪れ、電磁波過敏症と判明した。
電磁波過敏症は、単に電磁波に対してのみ過敏に反応するのではない。化学物質過敏症と同じで農薬にも低気圧などの気象条件にも過敏に反応して、息苦しくなる。
話を聞いていて、その苦痛の大変さが自分のことのようによくわかった。
なんとか安心して住める住宅をという相談に乗り、あちこち探して歩いた。
しかし、田舎であればあるほど農薬にまみれていて住めない。
電気を使わずに、どうしたら無暖房・無冷房で、化学物質が少ない住宅を建てることが出来るだろうか…。
一緒に見学にゆく計画を立て何回か待ち合わせたが、病状がすぐれず延び延びになり、そのうち音信が途絶えた。
結局、私は実質的に何の役にも立つことが出来なかった。

そんな苦い反省があるので、電磁波に対してはどちらかというと懐疑派。
電磁波過敏症まではいたらなくても、電磁波に対してアレルギーを持つ人が多くいる。
その事実だけは、電気メーカーも、オール電化を謳っているビルダーもしっかり認識しておいてもらいたい。
しかし、IHヒーターの有効性は否定も無視も出来ない。
老人家庭にとっては、ガスに比べてIHははるかに火災などの心配が少ない。
室内でガスを燃すわけでないからCO2が充満することもなく、換気量ははるかに少ないので省エネになる。夏期は湿度の発散が少なくて助かる。
掃除や維持もはるかに容易。
デメリットだけを一方的に強調して、こういったメリットを等閑視するのはおかしい。

日本では電磁波問題を、IHヒーターとケータイ電話を中心にして狭義の範囲で議論されてきた。
ところが、この本の著者は「電磁波で悩んでいる家庭を調べてみると、問題はIHヒーターや電子レンジやテレビ、あるいはパソコンだけにあるのではなく、配線そのものにもある」と説いている。
著者がこの本を書いた時点で、電磁波測定機を持って家庭や事務所訪問して測定した数は100軒ぐらい…。
東北大学の吉野先生の20年余におよぶ東北の家庭でのエネルギー消費量の推移調査で対象にしていた住宅は300軒にも及ぶ。
私がダイキンの部長や課長の協力を得て行ったセントラル空調換気の機器やダクトのメンテナンス調査は200軒に及んでいる。
本来、フィールドワークというのは、最低200軒は足で稼ぐ必要がある。
100軒程度の調査で本を出そうとしたからスカスカの小冊子になってしまった。
しかし、単なる机上の空論ではなく、100軒でもフィールドワークの背景があるから、船瀬氏などの空理空論に比べるとはるかに説得力を持っている。

調査依頼のあった2階の子供部屋。まだ幼くテレビやパソコン、ゲーム機も部屋には置いていない。それなのに測定してみると強い電場がある。原因が分からないので順番にブレーカーを落としていった。そしたら、1階の天井照明のブレーカーが落ちたら電場は消えた。
子供部屋の強い電場の原因は1階のダウンライト照明にあった。普通の蛍光灯に比べてダウンライトは、電場は4倍、磁場は3倍強の電磁波を出している。

また、別の家庭では「3人の子供のうち上の2人が同じアレルギー症状。そこで食事、ハウスダスト、シックハウスなど徹底的に原因を調べて行きついたのが電磁波。しかし子供部屋には原因になるような物を置いていない」というので調べてみた。
子供部屋は壁を挟んで隣が居間。その居間にテレビが置かれている。
そして、子供部屋ではテレビの裏にベビーベットが置かれていた。
つまり壁をはさんで古いテレビとベビーベットが背中合わせになっていたのが原因。

著者は電磁波というのは「磁場」だけが問題になっているが「電場」の影響が大きいという。
磁場は、電源を切ると磁波はなくなる。しかし、電場は電源を切っても電流が流れていてなくならない。ブレーカーを落とさないかぎり…。
昔の木造2階建て住宅に使われていた屋内配線の長さはせいぜい150mぐらい。
それが最近の家庭では家が大きくなったということもあって4.5培強の700mにもおよんでいる。
この配線が電場となって健康に影響を及ぼしていると指摘する。

著者は、テレビはプラズマと液晶になったので電磁波の心配はほとんどなくなったという。IHヒーターや電子レンジは、注意して使えば一般の人はそれほど心配する必要がない。パソコンとかケータイはアースをつければ問題が解決するが、日本ではほとんどつけていないことが問題。ただ、ホットカーペットと電気毛布はアースがつけられないので避けた方がいい。
そして、やたらと多くなった配線から発している極低周波電磁波の電場を避けるためには @導電性の高い電線管によって電線を被覆する Aボードの下に薄い繊維膜を施工しアースで電磁波を地球に逃がす、の2つの方法があるという。

そのオールアース方式の採用の良否は別にして、今までと違った視点で電磁波を考えさせてくれるのが嬉しい。しかし全体にデーター不足は否めず、100%の信頼を寄せることは出来ない。
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2007年02月20日

耐震偽装事件の核心!   イーホームズ藤田社長の恨み節

藤田東吾著「耐震偽装―月に響く笛」(imairu社 1800円+税)が昨年の年末に出版された。
昨年2月に、同じ題名の本が出版されている。ただしサブタイトルが違う。
細野 透著「耐震偽装―なぜ誰も見抜けなかったのか」(日経BP社 1680円+税)

細野氏は建築士で日経アーキテクチャーの元編集長。したがって耐震疑惑に対して深く切り込んでいるだろうと期待して買った。だが、さっぱり核心を捉えておらず、見事に裏切られた。
これに対して藤田東吾氏は直接の当事者。核心を突いている。

ご存知のように、2005年10月、イーホームズは外部からの情報提供に基づいて調査したら、ヒューザーの数物件で構造計算書の偽造を発見した。
これは大変な事態。いち早く工事を中止させ、完成物件に入居者している消費者対策を進めるためにも国土交通省に報告しなければならない。
そこでヒューザーに連絡して会議を持った。調査資料を見せたら姉歯は早い段階で偽造を認めた。
しかし、ヒューザーの小嶋社長は伊藤公介元国土庁長官に働きかけ「偽造を見抜けなかったイーホームズが悪い。こちらは被害者だ」と開き直った。
一方、報告を受けた国土交通省は、最初の時点から役所に炎がおよばないようにいろんな情報操作を行い、罪のないイーホームズの藤田社長を増資見せ金容疑という別件で逮捕させた。
その後明らかになったアパホテルの耐震偽装。その追及をイーホームズが一向に止めなかったので、政治的な圧力があったとも言われている。
そして、耐震偽装問題を提起したイーホームズは解散させられた。

この藤田東吾氏の告発本は、最初は文芸春秋から出版される予定だったらしい。
ところが、まだ白黒がはっきりしていないアパホテルのことが書かれていたので、類が及ぶのを避けるために削除するように文春は求めた。これに対して藤田氏は譲歩しなかった。このため文春は降りた。
そこで自費出版という形で世に出てきたという次第。

そんなわけで、この著書は最初から最後まで国土交通省や読売新聞、文春への恨み節に終始している。冷静さが足りず、読んでいて同情するよりも嫌味さえ覚える。
したがって、お買い上げを薦める気持ちにはなれない。

しかし、氏が提起している大切な問題点がある。
これこそが、今回の耐震偽装問題の核心であり、本格的な解決策は未だに用意されておらず、今後とも尾を引く重要なポイントだと思う。
したがって、そのピンポイントの概略だけを抜き取り、集録させていただいた。

2005年11月11日午後2時。イーホームズの2人の担当が国土交通省に偽造内容の説明に参上した。そこには、建築指導課の2人の課長補佐のほかに建築研究所から2人、国土政策総合研から1人、建築センターから2人のほかに大臣認定プログラムを開発したユニオンシステムから1人の担当が揃って待っていた。

「姉歯は、基準を満たすパターンと満たさないパターンの両方を走らせて2つの計算図書を作成する。片方はOKメッセージが出るが片方はエラー表示。この2つを組み合わせる。つまり前半は満たさない条件の計算書にして後半を満たしたものにする。そしてこの2つを1つの計算書にしてしまう。結果としてOKメッセージが出てくる。そのような巧妙な偽装手法をとっていたと推定されます」とイーホームズの担当が説明した。
そしたら横から課長補佐が口を挟んだ。
「でも、大臣認定プログラムは一貫計算で行うから、計算書のヘッダー部分に認定番号と連番が印刷される。2つの計算書を組み合わせても番号がズレルから発見出来る。そんな簡単な偽装を見抜けなかった指定機関に問題があるのではないのか」と。

これに対して呼ばれていた先生が言った。
「実際には一貫計算なんかやっていない。通常は一次、二次設計と個別に計算してコンピューターを走らせるから、ヘッダーに印字なんてされない。それよりも、基準法に満たない条件を入力しても計算出来るようなプログラムを、なぜ開発したのだ」
これに対してユニオンシステムは
「当社のSS1バージョンは、先生の言うとおり基準法に満たないものは入力できませんでした。でも平成14年に新たに認定を得たSS2は、利用者の汎用性を高めるために、基準法未満の入力条件を設定してもコンピューター計算が出来るようにしたのです」と答えた。
「それじゃ、偽装をやれといっているようなものじゃないか。なんでそんなことになったのだ」
「SS2を海外で使いたいというユーザーのためですよ。海外の建築基準は日本を下回る。
したがって海外工事の場合はプロテクトをはずさなければならない。それが面倒だというユーザーの声を反映しただけです」
「なんでそんなものを開発してしまったのだ」
「そうした利用方法を前提に、SS2をバージョンアップする時、建築センターで評定を受けて、国土交通省で認定を受けたのですよ」とユニオンシステムの人間は自慢げに答えたという。

そして、2人の課長補佐が退席した時、ある先生がふと口にした。
「でも、この計算条件だけど、保有水平耐力じゃエラーになるけど、限界耐力で計算しなおしたら基準法を通のじゃない」
それを聞いた他の先生が相槌を打った。
「そうかもしれないね。ちょうどこれくらいの規模の建物なら、限界耐力なら建築基準法を満たすと思うよ」
「でも、そんなことは口が裂けても言えないな。今の基準法の構造計算制度がいい加減だってことを証明するみたいだからな」

先生方の本音のとおりだとすると、非は建築センターと国土交通省にあるということになる。
そうすると、被害を受けた消費者に対して国が責任をとる必要が出てくる。
そして、徹底的に調査をすれば、耐震偽装物件は限りなく出てくることになろう。そうなったら、国土交通省が社会的責任を問われて収拾がつかなくなる。それだけは絶対に避けなければならない。
しかし、姉歯やヒューザーだけを血祭りに上げても国民が納得してくれないだろう。
民間の検査機関のせいに転嫁しなければならない。そのためにイーホームズを加害者に仕立て上げる必要があった、と著者は強調する。

それにしても、公明党出身の北側国土交通大臣はもうすこし役人を厳しくシゴいて何とか消費者を保護すべきだった。そして野党は、スキャンダル問題こだわり伊藤元国土庁長官などの追求に忙しく、肝心のことを見逃して幕を降ろさせてしまった。
また、アーキテクチャー誌をはじめとしたジャーナリストは、なぜこの問題で堂々と論陣を張り、報道をしなかったのだろうか?
あくまでも、著者の記述が事実とするならばの話ではあるが…。
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