2007年09月10日

青年社長の「経営力」での学校改革奮闘記 (2)



青年社長は、ワタミが上場したのを1つの区切りにして学校の設立を真剣に考えるようになった。
外食産業に携わって人材の育成、すなわち教育ほど重要なものはないと痛感した。
外食産業の教育というと「マニュアル教育のことだろう」と早合点しがち。
青年社長は、そのマニュアルが大嫌い。
仕事の場とは、自分の夢を叶えるために必要な有形無形の価値を学んで、成長をとげてゆく場だと考えている。事業を伸ばすことは人を成長させることにほかならない。
その成長過程を目撃するのが大好き。
という少し青っぽい動機から「教育の場をつくる」ことに執念を…。

しかし、学校教育の世界は極めて閉鎖的。
居酒屋の成り上がり社長がどんなに力んでも、新しい学校をゼロから造れる可能性は不可能だということを思い知らされる。
八方塞がりで悩んでいた時、文京区にある私立の中高一貫の男子校「郁文館」から「再建のため一肌脱いでもらいたい」との声がかかった。
郁文館は夏目漱石の「我輩は猫である」にも登場する1899年に創立された由緒ある学校。
したがって定員割れを起こしているわけでもなく、受験者数が著しく低下しているわけでもない。一見まともな学校なのだが28億円という巨額な負債を抱えていた。
この借金返済のために修学旅行の積立金にまで手をつけるという自転車操業に…。
経営が完全に破綻していて、一般企業ならばとっくに倒産。

著名な学校がなぜこんなんみっともないことになったのか。
それはバブル期に銀行やゼネコンにおだてられて長野県に豪華な研修施設を造った不動産投資が原因。
バブルが崩壊して研修施設をホテルに改修して収益を確保しようとしたが、所詮は紺屋の白袴。赤字がふくらみ続けた。
ともかくバブル時の銀行はポリシーもなければ節操もなく、いたずらに資金を貸し付け、多くの企業と個人を投資に走らせ、破綻に陥れた。
そして、その責任をとった銀行の経営者は1人もいない。
日本の頭取共は、世界一の無能で無責任な人種であることを天下に公知。
郁文館も、その犠牲者の1人にすぎない。
しかし、そのお陰で青年社長のところへ話が持ち込まれた。
渡りに舟と、1億円の私財を寄付し、30億円の銀行借り入れに対して個人の債務保証をして、青年社長は理事長に就任した。

そして、意気揚々と郁文館へ足を踏み入れたら、腰を抜かさぬばかりに驚かされた。
一番ひどいのはゴミ。
ともかく校内はゴミだらけ。そんなゴミだらけの廊下を歩いて教室へ入ってみたらここもゴミの山。紙くずをはじめ何もかもその辺に捨て放し。
おまけに生徒たちは挨拶を全然しない。
そのうえ、全校生徒1600人のうちひどいときは1/3の500人前後の生徒が遅刻してくる。
それが当たり前になっていた。
ということは、ツッパリやヤンキー類の不良学生が目立つ荒れた学校かというと、そうではない。むしろ逆で、東京の普通の家庭のまあまあいい子が集うのんびり、おっとりとした校風が感じられる。

職員室を覗いてみると、教師たちはてんでばらばら。チームワークのかけらも感じられなく、1/3がやる気を喪失していた。
教育を通じて生徒たちを幸せにしてゆこう。学校の仕事を通じて自分自身が人間として成長していこう。
こうした教育者としての基本的な気概を、全く見失っていた。
この学校を改革してゆくわけだが、学校経営の基本数字を知っておく必要がある。
全ての産業界に基本数字がある。この基本数字を軽くクリアーすることがイノベーション。
もちろん、住宅業界にも基本数字がある。

私は注文住宅業界で、ニューエントリーした企業2社を、なんとか黒字化してきた。
しかし経営の基本は非常に単純なもの。
1つは、常にイノベーションを追い続け、大手住宅メーカーにはデザインを含めた商品開発面で絶対に負けないこと。
2つは、1人当たりの生産性を8000万円以上になるように努力すること。

モデルハウスをもっているビルダーの場合、この数字にさえ抑えておけば、総資本回転率とか月次決算などというこまかい経理的な数字を無視できる。
例えば1人当たりの生産性が5000万円とする。粗利が25%とすると1人当たりの粗利が1250万円。このうち直接人件費として払えるのは1/3の420万円。
福利厚生費や交通費などの間接人件費や事務所費、展示場経費、広告宣伝費などの諸経費が直接人件費の2倍はかかる。
ボーナスを含めた年間平均給料が420万円では、優秀な人材は絶対に得られない。
平均700万円以上の年収を保証するには、1人当たり生産性が8000万円で、粗利が27%なくてはならない。
ナカジマホームの松岡社長は、エリアと商品を絞り、ひところ1人当たり生産性が1億円を超え、粗利30数%という驚くべきイノベーションを達成して脱帽したことがある。
この松岡氏には敵わないが、経営数字そのものは難しくはない。注文住宅で一番難しいのはイノベーションを続け、大手に絶対に負けない商品力を持ち続けられるか否かにある。
それがないと1人当たりの生産性と粗利が確保出来ない。

著者によると、学校経営の基本数字はあまりにも単純。
売上げは、入学費×受験者数+学費×生徒数+補助金+寄付
これに対して支出は人件費と固定費。
まず、この固定費を30%以内に抑える必要がある。
ところが35%の固定費を支出、しかも70%を人件費に充てているとこがある。当然赤字。
私学振興財団の調査によると国内の私学高校のうち1992年度には赤字高校が12.1%だったものが、2005年には50%にもなっているという。
ということは、定員割れを起こしているからか…。そうではない。
とすれば赤字の原因は? 建物の減価償却費? それとも光熱費?
答は人件費。これが70%を超えているのに経営的な対策を講じられていないから…。

生徒数1500人の郁文館では人件費の損益分岐点が50%。これを超えたらビジネスにはならない。50%が「望ましい」のではなく、絶対に抑えなければならない生命線。
どうしたら50%に抑えられるか。安直なリストラでは教師の意欲が損なわれる。現場の教師によるプロジェクトを立ち上げ、試行錯誤を繰り返し、その中で見事に郁文館では50%に抑え込んだ。
このため28億円の負債は2008年度中に完済し、2010年には校舎が新しく建て直され、男女共学校としてスタートする見込みという。

あまりにも経営の話に的を絞りすぎた。
青年社長の学校改革のポイントは「学校は生徒のためにある」というポリシーの徹底。
つまり生徒が「お客さん」であるという思想で教員の意識改革を進めた点にある。
生徒がお客だということは、未熟な子どもに媚び、へつらえということではない。
居酒屋の客へのサービスはその日で完結する。しかし、学校でのサービスが結実するには時間がかかる。
居酒屋のサービスは「消費」だが、学校のサービスは「投資」。
その違いはあるが、学校の「お客」は決して教師ではなく、どこまでも生徒。
ただし、すぐれた教育というサービスを提供するのはどこまでも優秀な教師とその意欲。

教師の意識改革のためワタミで3日間の研修を受けてもらったり、誰もが納得出来る公平な評価制度をつくったり、授業崩壊という現実を根本から変えたり、イジメは「自分がしてほしくないことを相手にすることだ」と徹底的に排除したり…。
こうした改革についてゆけず、1/3の教師が離脱していった。
しかし、残った意欲的な教師の多面的なアイディアによって、郁文館は蘇生した。
posted by unohideo at 06:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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