土地の共有化という社会主義運動が戦後のアメリカで「オープンスペース・コミュニティ」の名で一大展開を見せた。
古い日本的な宅地開発の例。道路面積が25%も占めている。
同じ宅地をランドプランニングのテクニックを用いるとオープンスペース団地に一変する。
もう30数年も昔の話。
40人の住宅産業人とツアーを組み、日本人としては初めてNAHB(全米ホームビルダー協会)のワシントンの本部を訪れた時、アメリカのビルダーが私共に見せてくれた最新映画が『オープンスペース・コミュニティ』だった。
当時、分譲住宅を手がけたことがなかったので、この最新技術の素晴らしさ、つまりイノベーションの意味が判らなかった。
それがおぼろげながら判ったのが数年後で、(財)住宅情報サービスの佐々木専務に依頼されて「ランドプランニングの基礎」という小冊子を書いた。
その小冊子が書棚から紛失し、出版元にもないという。手元にある古い資料を頼りになんとかコンセプトだけでも解説してみたいと思う。
アメリカの旧市街地はご多分に漏れず直線で四角に区切られ、アベニューとストリートで区分。車道と歩道は常に交差しており、自動車にも歩行者にも大変に危険。
それが、戦後郊外に出現した新しい街では、車道と歩道が完全に分離された。
大変見にくいが、上の古い白黒の写真をクリック拡大して頂きたい。
一番の特徴は、幹線道路に沿って家を建てるのではなく、カル・デ・サスと呼ばれる回転路に沿って、ブドウの房のように家を張り付けてゆく手法が登場したこと。
このカル・デ・サスは必ずしも丸い回転路とは限らず、三角のものもあれば細長いものもあった。
いずれにしても道路は、スーパーでいうならば商品の搬入路。舞台裏。
新しい郊外の住宅地では道路はどこまでも住宅の裏側。
玄関は広々としたオープンスペースに面した歩道側にある。
このため、幼児もお年寄りも交通事故の心配や排気ガスにまみれることなく、安心して集会所やプール、幼稚園などに通うことが出来る。
たしかに広々としたオープンスペースがあるに越したことはない。
「そんなことをしたら宅地価格はべらぼうに高くなって、とてもじゃないがサラリーマンには手が届かなくなるのではないか」という当然の懸念が湧いてくる。
サラリーマンの手の届く範囲に収めてオープンスペースを広くとるには、各戸に配分する宅地からオープンスペース分を差し引いて供出するしかない。
そして、入居者は占有スペースと共有スペースの両方を登記する。
このメリットをいくら口で説明しても判ってもらえない。
そこで真ん中の図を見ていただきたい。
これは、当時実際に日本で分譲されていた延べ6万坪の住宅地。
歩道付の幅8メートルの道路の外は6メートルと4.5メートルの道路が、全宅地に接するように配分され、区画がなされている。日本でお馴染みの宅地形態。
ところがよく見ると道路面積が25%にも当たる1.5万坪も占めている。
そしてT字型交差点が70ヶ所、十字型交差点が19ヶ所、計89ヶ所もの交差点がある。
そして公園やスポーツセンターはたった5.4%しか占めていない。店舗や幼稚園、事業用地は3.8%で、どこへゆくにも車道を通ってゆくしかない。
運転手も住民も、交通安全を最優先に考え、おどおどと生活しなければならない。
そして、専用住宅用地は65.7%の3.95万坪。
住宅戸数が697戸だから1戸当たり専有面積は平均56.7坪。
これが、東京近郊で売られていた宅地の実際。今では宅地が転売されミニ開発がなされ、アパートが建てられたりしている。
宅地全体がスラム化してきている。
この宅地をオープンスペース・コミュニティのコンセプトで開発したらどうなるか。
稚拙だが、ランドプランニングの手法を用いて描いたのが下の図。
まず注目して頂きたいのが幹線道路を12メートル幅、アクセス道路幅を7メートルに拡げたのに道路面積は半減して7900坪で13.2%。
交差点は60%減少してT字型のみで35ヶ所。ものすごく安全な宅地に一変。
そして専用住宅地は36.8%で2.21万坪。
戸数が同じとすると1戸当たりの専有面積は31.7坪。
この専用面積にはガレージと専用庭が含まれる。
そして、ショッピングセンターを除いたオープンスペースはなんと2.82万坪で47%も占めている。つまり入居者は31.7坪の専有地の外に平均して40.6坪分の共有地を持っているという勘定。
そして、住居は戸建てとは限らない。2戸1棟でも、タウンハウスでもいい。
この共有地の中に集会所やプールやテニスコート、幼稚園のほかに広々とした遊歩道と緑の遊び場がある。
したがって、この素晴らしいコミュニティはいつまでたっても不動産価値を下げることも、スラム化することもない。
いや、逆に不動産価値が次第に上がってゆく。
かつてのように広い専有地を持つことが出来れば、プールや広い庭を持つことが出来た。
しかし、人口の都市への集中を考えると宅地の狭小化が避けられない。
そして、道路面積だけがやたらと増大し、交通事故と排気ガスが増え、都市から緑が失われてしまう。
それを防ぐには『各戸から宅地を供出して、緑の多い共有のオープンスペースを創ってゆこうではないか』というのが「オープンスペース・コミュニティ」のポリシー。
言ってみれば、あの資本主義の権化のようなアメリカで、美しい宅地を共有化してゆくという社会主義運動とも呼ぶべき運動が、ホームビルダーによって提唱され、それがアメリカの市民の絶対的な支持を得て、全国的な運動として展開したのだ。
本来であれば、日本では左翼文化人とか自称進歩人が最初に飛びつかなければならないコンセプト。それなのに、左翼文化人は私の提案にそっぽを向いた。
今から考えると馬鹿みたい話だが、当時は住宅公団が建設しているニュータウンから自動車を閉め出すことが、進歩的な正しい考えだとされていた。
アメリカのランドプランニングは自動車社会を前提としており、けしからぬというわけ。
こうした近視眼が、消費者の近未来行動を正しく予測出来ず、ニュータウンを魅力のないものにして、現在のような廃墟タウンにさせてしまった。
また、大学の都市工学の諸先生はヨーロッパばかりを見て、アメリカのオープンスペース・コミュニティという一大イノベーションを正しく評価する洞察力に欠けていた。不動産会社も土地の値上がり益のみにオンブしてトライをさぼった。その結果、日本では公団の住宅団地と民間の古い手法による宅地開発のみが進み、コミュニティづくり運動が起こらなかった。
当時、私はツーバィフォーのオープン化運動に忙しく、折角書いた「ランドプランニングの基礎」を各大学の都市工学部へ送るということをやらなかった。
そのことが反省材料。
そして、公団住宅が売れなくなった20年前から、RCの中高層住宅に変えて低層のタウンハウス団地の開発が試みられたが、時すでに遅かった。


